僕たちがミュージシャンの演奏を耳にする機会は大ざっぱに分けると2種類ある。ひとつは直接ステージで演奏されるライヴの音、もうひとつはスタジオでレコーディングされた音だ。
言うまでもなく、現代のほとんどの有名ミュージシャンたちにとって、活動の中心はレコーディングだ。スタジオで作り上げた音が作品であり、ライヴはその音をベースにした"もうひとつの活動の場"に過ぎない。
限りなくスタジオに近い音を再現する。スタジオと違うアレンジを楽しむ。いずれにしても、先にスタジオの音があってこそのライヴである。
しかしレイチャールズにかかると、そんな常識は一瞬のうちにどこかへ吹き飛ばされる。もともと音楽とはライヴなのだ、レコーディングなんて所詮カタログに過ぎないのだ、といつの間にか言いくるめられてしまう。
オムニバスのチャリティーソング「We Are The World」で見せる強烈な存在感、映画「ブルース・ブラザーズ」でローズピアノを弾いて歌いまくる楽器店主役など、実際にライヴに行ったことがない人でも、限りなくライヴに近い彼の姿に触れたことのある人は多いだろう。
僕の場合はそれに加え、1986年に愛知県豊橋市で行われたライヴイベント「ブラック・ヘリテイジ・フェスティバル」で生のレイチャールズを聴いてしまった。ほとんどPAが機能していなくて、全神経を集中しないとよく音が聞こえないような状況だったけれど、そんなトラブルは生のレイチャールズには無関係だった。聴衆は声をひそめてバンドの音に耳を傾け、雨上がりのだだっ広い野外会場の空気は、明らかに違う世界のものになり変わっていた。
レコードにも"ライヴ録音"というものがある。名盤と言われる1950年代のアトランティック時代のアルバム「RAY CHARLES」や「THE
RIGHT TIME」には、ライヴ録音による物凄い音が詰め込まれている。が、それらのアルバムでさえ、レイチャールズの凄さを本当に伝えることはできない。同じ時期のコンサートを収録した「RAY
CHARLES LIVE」と聴き比べてみるとわかる。この人はあくまでライブの人であり、パフォーマーなのだ。音を残そうなどと意識せず、その瞬間のフィーリングで自らを表現したときにこそ最高の力を発揮する人なのだ。
当時からレイの音楽にジャンルの壁はなかったようで、このライヴ盤にはR&Bやらジャズやらが幕の内弁当みたいに詰め込まれている。ジャズに造詣の深くない僕には少々聴きづらいコンサートではあるのだが、それを差し引いても、このアルバムはあまりにも凄い。("凄い"という言葉を使うのは何回目だろう?)
1曲目の「THE RIGHT TIME」からいきなり、強烈なサックス、強烈なバックコーラスとレイの強烈な掛け合い(というより一騎打ち)。のっけからテンションの高さに圧倒される。
圧巻は8曲目の「A FOOL FOR YOU」。ゆったりとした抑えめの出だしからバンド全体が徐々に熱を帯びて、最後にはすべての楽器とヴォーカルが全力で雄叫びを上げている。まるでラヴェルのボレロを思わせるような長大で重厚なブルースは、曲が終わった後しばらく呆然としてしまうほどだ。
ゴスペル、R&B、R&R、ジャズ、カントリー・・・。50年代のアメリカにあった音楽のエッセンスを分け隔てなく吸収して、自分の音に作り変えてしまったレイチャールズ。そこには僕たちが無理矢理音楽を言葉に置き換えるために作った"ジャンル"という概念は一切存在しない。「A
FOOL FOR YOU」の前にレイが叫ぶメッセージが象徴的だ。
「Everybody can understand the BLUES!」
とにかく"ブルース"。全部の音楽が"ブルース"。馬鹿みたいにシンプルでありながら誰にも真似できない奥深さを持ち合わせているところが"天才(ジニアス)"と呼ばれる所以だ。
常々アルバムのライナーノーツを読むたびに、どのコメントもレイチャールズの何たるかを書き切れていないように思っていたのだが、実際に書いてみてよくわかった。
レイチャールズを言葉で語ることなど無意味なのだ。
彼の音楽は実際に聴くしかない。しかもできればライヴで。
【2002.3.23】
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