落ち込んでいた私をこの曲が元気づけてくれました、という話がよくある。落ち込んでいた原因はいろいろあると思うけど、その多くは失恋のようだ。月並みかもしれないが、僕にもそういう体験があった。普通の人と少しだけ違ったのは、癒してくれた音楽がユーミンとかサザンとかではなく、ブルースだということだった。
失恋の痛手に耐えられずすっかりふさぎ込んでいた19歳の僕は、ブルース好きの友人に誘われていたライブを断ることにした。ブルースなんて暗い音楽を聴いたらますます落ち込んでしまうに違いないと思ったからだ。しかし意外に彼は執拗だった。「ブルースを聴いたら失恋なんてふっとんじゃうよ」という言葉はとても信じ難かったけど、断り切る元気すらなかったので、僕は渋々彼につき合うことにした。
愛車のスズキバーディに乗って約束の場所に行くと、古いビルの地下に「OPEN HOUSE」というライブハウスがあった。入り口のドアを開けると、店内に充満したビールの匂いとブルースの音が漏れてくる。レンガと木と石でできたシンプルな店の中は、狭くて古くて雑然としていて、田舎から出てきて間もない僕にはとてもお洒落な大人の場所に感じられた。
しばらくの間、友人とエビスビールを飲みながら待つと、客席の間を通って4人のオジさん(僕にはそう見えた)がやってきた。気さくでいい加減なあいさつが終わると、信じられないような大音量でライブがはじまった。どんなライブだったかはほとんど覚えていない。それまでに体験したことのない強烈な音のパワーとエネルギーの洗礼を受けて、僕はただ興奮し歓喜していた。数時間後に店を出る頃には、心の傷は完治し、僕は完全にブルースの信者になっていた。
それから僕はそのバンドが店に来るたびに足を運ぶようになった。そして彼らがカバーしている黒人ブルースマンたちのレコードを買いあさった。オーティスラッシュ、ロバートジョンソン、B.B.キング、リトルジョニーテイラー、リトルウォルター・・・。それまで聴いていたレコードは一切お預けで、毎夜バーボンを飲みながらブルースのレコードを聴きあさり、いっぱしのブルース通を気取れるくらいになった。
しかし結局、僕は本物のブルース通にはなれなかったのだ。暗い音楽だと思っていたブルースが、実は迫力に満ちた熱くて切ない音楽だということを知ったのは確かだったけど、僕が宗旨がえをしたのは、ブルースという音楽にではなかった。やがて"あのバンド"がOPEN
HOUSEに来なくなると同時に、僕は黒人たちのレコードを通して、彼らのライブを思い出していただけなのだということに気づいた。
彼らのライブを見ることができないのは、本当につらいことだった。大げさかもしれないが、たぶん教会やお寺を失くした熱心な信者はこんな気持ちなのだろうと思う。
でも幸いなことに彼らは、僕の手元に1枚のレコードを残してくれた。別のブルースバンドのライブと2枚組になった彼らのライブ盤だ。(近くのレコード屋でそれを見つけたときは驚きだった。)僕はそれまでにも増してバーボンを飲み、そのレコードを聴いた。
それから一年ぐらい後だったろうか、彼らは突然よれよれのオーティスラッシュ(よれよれでも物凄かった)を連れて帰ってきたかと思うと、そのまま解散してしまった。彼らのライブはレコードの中にだけ生き続け、永遠に見ることのできない記憶の中のできごとになってしまった。
メンバーのひとり近藤房之助さんは、相変わらずどころか超有名人になって、ライブはもちろんたまにテレビのニュース番組でも歌を聴かせてくれたりするけど、ブレイクダウンのライブはもう見られない。唯一残ったこのライブ盤もメンバーが変わる前のもので、残念ながら僕が大好きだったブレイクダウンのリズムを聴くことはできない。それでもやはり他のレコードでは絶対に聴けない音を刻みつけた、世界一のブルースレコードだ。
誰が何と言おうと(もしも房之助さんが言ったとしても)、これだけは譲れない。ブレイクダウンよりカッコいいブルースなど存在しないのだ。そしてブレイクダウンのライブを見ることのできた僕は、世界中でも数少ないこの上なく幸せな人間のひとりだと思う。
【2002.3.13】
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