何度もカセットテープを巻き戻しながら、一生懸命歌詞の聴き取りをした。どうしてもわからないフレーズがあって月刊明星の付録で調べたら、"シャイなハートにルージュの色がただ浮かぶ"と書いてあった。"シャイなハート"って何だろう・・・?
中学1年生の僕には意味不明で、かなり困惑した記憶がある。
「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」をくっつけただけのふざけたタイトルをひっさげて登場した、ランニングシャツ姿のロックバンド。第一印象は誰もがそうだったと思うけど、ほとんど歌詞の聴きとれないその歌とあいまって、僕にはずいぶんキワモノに思えた。でも不思議と心惹かれるものがあったのは、きっと、後に僕がどっぷりとはまることになるビートルズや黒人音楽のエッセンスが混ぜ込まれていたからだろう。
1950〜70年代のブリティッシュロック、アメリカンロック、ポップス、レゲエ、ブルース、ジャズ・・・、ありとあらゆる音楽をセンスよくパクり、レイチャールズの真似から生まれたとおぼしき黒人風の歌声をのせて、サザンオールスターズは日本の歌謡界を席巻した。(レイチャールズの真似をして日本語の歌を歌うと本当に桑田節になる。)最初はほとんど洋楽のカバーだった楽曲も、だんだんと垢抜けて、オリジナリティあふれる作品へと進化していった。
そしてデビューから4年目、僕が最初に買ったサザンオールスターズのレコードが「ステレオ太陽族」だった。
他の人はどう思っているんだろうか。改めて初期のサザンのアルバムを聴くと、僕はビートルズの最初の何枚かを聴いたときと同じような印象を受ける。
デビューアルバムの「熱い胸さわぎ」と2枚目の「10ナンバーズ・からっと」は、既成の音楽をベースにパクリのセンスと天性の才能で作りあげてしまった、雑だけど勢いのある作品。「タイニイ・バブルス」になると、1曲1曲のオリジナル性と完成度が高まり、玄人好みの渋めの音が増えてくる。そして、アルバム全体に一貫したテーマをもたせたコンセプチュアル・アルバム「ステレオ太陽族」の登場。
こうした流れは「PLEASE PLEASE ME」から「RUBBER SOUL」に至るまでのビートルズのアルバムととても似ているように思うのだ。(さしずめ「KAMAKURA」は「WHITE ALBUM」といったところか・・・?)
「RUBBER SOUL」は決して派手ではないけれど、とても渋い。"脱アイドル"という気持ちがあったのだろうか、アーティスティックな匂いが全体に漂っている。できあいの曲を集めてできたアルバムではなく、アルバムのための曲作りによって完成させた作品だ。「ステレオ太陽族」には、これと同じ匂いがある。それからもずっとサザンのアルバムを聴いてきたけど、僕にはこの作品が一番のお気に入りだ。
次作「Nude Man」の発表時に、桑田さんが「ステレオ太陽族では歌えてなかった」と言っていたのを覚えている。この作品以前はもちろん以降のアルバムにも見られないほど洒落たメロディ、アレンジの曲が多くて、スタジオっぽい(つまりライヴっぽくない)ところがサザンらしくないと思ったのだろうか? でも肩の力が抜けたこのアルバムのヴォーカルは決して悪くないと思う。黒人の音楽が好きな僕には、このアルバムの音は本当に心地いいのだ。
ライヴと同じお祭り気分が味わいたい熱烈なファンには少し物足りないかもしれないけど、サザンが好きで、まだ聴いたことのない人にはぜひ一度聴いてみてもらいたい一枚である。
【2002.5.22】
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