title1

BLUE LADY

title2

YOU BETTER GO NOW
NO GOOD MAN
PLEASE TELL ME NOW
GUILTY
BABY, I DON'T CRY OVER YOU
WHAT IS THIS THING CALLED LOVE?
THE BLUES ARE BREWIN'
WEEP NO MORE
GIRLS WERE MADE TO TAKE CARE OF BOYS
BIG STUFF

© MCA RECORDS, INC.
 
 

 学生時代のある時期、僕はオーディオマニアだった。オーディオマニアと言っても、20代以下の人にはピンと来ないだろうか。ミニコンポが主流になったいまではすっかりマイノリティになってしまったけど、プレーヤーやアンプやスピーカーをひとつずつ選んで好みの音響システムを構築するマニアックな音楽愛好家たちが、1980年代まではそこら中にいたのだ。

 そのスピーカーに出会ったのは、僕がちょうどオーディオマニアになりかけていた頃だった。通っている大学の近くをスズキバーディに乗って走っていると、何の変哲もない電器店のウィンドウに小さなスピーカーが飾ってあるのを見つけた。慌ててブレーキをかけて、ウィンドウをのぞき込んでみると、いかにも手作りという感じの木製で、直径8cmくらいの小さなユニットがひとつだけついた"フルレンジ"と呼ばれるタイプのスピーカーがひと組だけ飾ってあった。それ以外はやはり何の変哲もない普通の電器店だ。

「どうぞ、中へ入りなさい。」

 突然声をかけられて振り返ると、その店の主人とおぼしき男性が僕に向かって微笑んでいた。魅入られたように彼の後についていくと、電気洗濯機やら電気掃除機やらが並んだせまい店内を横切って、一段高くなった奥のスペースに通された。
 そこにあったのは、左右対称に積み上げられたスピーカーの山だった。TANNOY、JBLといった有名メーカーのスピーカーの他に、見たこともない大型のフルレンジがある。手前にはウィンドウに飾ってあったのと同じ小型スピーカー(確か幅は10cmぐらいしかなかった)がちょこんと置かれていた。
 スピーカーの真向かいにあるソファに腰掛けると、彼は世間話のついでに僕の素性についていくつかの質問をした。やはりその男性は電器店の主人のようだ。僕が大学生であること、ブルースやR&Bが好きなこと、ビートルズのコピーバンドをやっていること、そして音のいいスピーカーを探していることを簡単に話すと、店主はおもむろに1枚のLPレコードを取り出し、横にあったプレーヤーに載せて針を降ろした。
 それがクラシックだったか、ジャズだったか、フォークソングだったかは、よく憶えていない。とにかく感動的としか言いようのない音がいきなり僕の体を包み込んだ。やわらかで、キリッとして、艶やかで、温かい音。そして驚いたことにその感動的な音を発していたのはTANNOYでもJBLでもなく、手前に置かれた幅10cmの小型スピーカーだった。店主は勝ち誇ったような目で僕の方を見ると、にっこり微笑んだ。

 後ろにあった大型のフルレンジは、さらに凄い音だった。店主いわく「目を閉じて聴いたときに思い浮かぶ歌い手の口や楽器の大きさが実物と同じ」でなくてはいけないらしい。実際にその通りだった。この音と比べたら、その横にある有名メーカーのスピーカー(当時1台30万円ぐらいの高級品だと思う)は、スーパーマーケットの店内放送用スピーカーとたいして変わらないように思えた。目を閉じてみたら、50cmぐらいの口をした歌手と、ウッドベースみたいなバイオリンが見えた。
 ショックだった。それまで聴いていた音楽がすべてニセ物だったように思えた。その苦痛と引き換えに、僕は新しい音楽の味わい方を知った。「お気に入りのレコードを持ってまたおいで」と言われ、悔しいようなうれしいような複雑な思いで店を後にした。

 部屋に戻ると、僕はすぐにレコードの選定をはじめた。でもよく考えてみたら、僕は音質にこだわるようなレコードを全く持ち合わせていなかった。コレクションのほとんどはロックかブルースかR&Bだったのだ。だからといって手ぶらで行くわけにはいかない。若い頃の僕はいまにも増して見栄っ張りだった。さんざん悩んだあげくに、少し前に中古レコード屋で見つけた、ビリーホリデイの『BLUE LADY』を持っていくことにした。ジャズだったら少しは格好がつくだろう。
 翌日、ビリーホリデイのレコードは意外にも賞賛を受けた。実際にいい音だった。店のスピーカーで聴くと、いままでは気づかなかった息づかいやピアノのタッチが、いやらしいぐらいに生々しく聴きとれる。迷うことなく僕はそのスピーカーを買いたいと言った。
 しかしそのスピーカーは、結局僕のものにはならなかった。僕の安アパートにはそのスピーカーは合わないと言うのだ。店主は僕の部屋にちょうどいいだろうと、30×20cmぐらいの手頃なサイズのスピーカーを出してくれた。いかにも合板という感じの木目も赤茶色の塗装もあまり気に入らなかったけど、選択の余地はなかった。「そもそも学生には身分不相応なスピーカーだけど、君は耳がよさそうだし、このスピーカーなら特別に譲ってあげるよ」というのが店主の言い分だった。

 『BLUE LADY』はそれからしばらく僕の愛聴盤になった。繰り返し聴くうちにビリーホリデイの声にすっかりはまって、『奇妙な果実』や『ビリーホリデイの魂』といった有名なアルバムも買い込んできた。いずれも名盤といわれるだけあって、ソウルあふれるすばらしい歌と演奏だ。幾多のつらい過去を背負った彼女にしか歌い得ないブルージーな歌声が切々と刻み込まれている。
 でも、ちょっと待てよ? 何か変だ。
 『BLUE LADY』とほとんど同じ年代の録音なのに、これらのアルバムはずいぶん印象が違うのだ。バンドの音も、ビリーの声までも。『BLUE LADY』のビリーはとても瑞々しくて艶やかなのに、『奇妙な果実』や『ビリーホリデイの魂』ではどこか荒んだ印象が強い。
 真剣に聴き比べてみると、その違いは歴然としていた。後から買った2枚は音質がよくないのだ。ジャケットやライナーノートを見直してみると、『BLUE LADY』はデッカレコードで、『奇妙な果実』と『ビリーホリデイの魂』はコモドアレコードで録音されていることがわかった。デッカといえば録音技術が高い(特に1940〜1950年代)ことで有名なレーベルだが、コモドアはマイナーレーベル。録音状態の差が曲や声のイメージまで変えてしまったのだ。
 コモドア録音の音質の悪さはむしろビリーの凄みを強調していて、結果的にはよかったようにも思う。でも実際のビリーの声に近いのは、たぶん『BLUE LADY』の方だろう。

 録音の状態。スピーカーの性能。それまで全く気にしていなかった二つの要素が、音楽に対する印象や感動の質を大きく左右することを、僕はこのとき初めて知った。おかげで僕にとってのビリーホリデイは、世界中が涙した『奇妙な果実』ではなく、キュートで艶やかな『BLUE LADY』になってしまった。それがいいことなのかよくないことなのかは、神のみぞ知る、である。
  スピーカーの方はというと、十数年経ったいまもしっかり現役。いろいろな音楽を最高の音で聴かせてくれる僕の大切な友人だ。たぶん少しずつ音質は悪くなっているのだろうけど、いまだにこれよりいい音に巡りあうことができない。電器店の主人は年をとって、スピーカー作りをやめてしまった。いつかこのスピーカーが寿命を迎える日がやって来たら、僕はどうやって音楽を聴けばいいんだろう。

【2002.8.20】

back
forward

 

Copyright © 2002-2010. [Old Friends] All rights reserved.
by snappi